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戦国の関東せんごくのかんとう

古河公方こがくぼう・両上杉・後北条氏が、河川と支城網をめぐって争った広大な地域。伊豆・相模・武蔵・上野・下野・常陸・下総・上総・安房を中心に、甲斐・越後との関係を含む。

関東は、何をめぐって争った地域か

関東の戦国史は、小田原の後北条氏だけでは説明できない。鎌倉公方かまくらくぼうから分かれた古河公方、山内・扇谷の両上杉氏、各地の国衆くにしゅう、越後上杉氏、甲斐武田氏、房総の里見氏などが、将軍家につながる権威と現地の軍事力を使い分けた。後北条氏はその複雑な関係へ入り、支城・家臣・文書行政を通じて勢力を広げた。

関東平野では大河川と湿地が国境以上に重要だった。利根川・荒川・多摩川、渡良瀬川などの渡河点と城を押さえることで、軍勢・年貢・市場を動かせる。古河・河越・小田原・江戸を結ぶと、関東の中心が一つではなかったことが分かる。

誰が公方の権威を使うか

古河公方の血統は、関東諸将の同盟・対立に正統性を与えた。

平野と河川をどうつなぐか

本城一つより、渡河点・街道・支城を結ぶ網が広域支配を支えた。

外から来る武田・上杉にどう向き合うか

甲越の大名との同盟と対立が、北条氏の北・西の国境を揺らした。

関東の主役を、五つの勢力で置く

一人の英雄だけで地域を見ず、前の支配者、競争相手、外から関わった大名、南から挑んだ大名との関係を重ねる。

関東の勢力図を変えた転換点

1455年
古河公方の成立

足利成氏しげうじが古河を本拠とし、享徳の乱きょうとくのらんが関東を長く分裂させる。

1487年
長享の乱ちょうきょうのらん

扇谷上杉家が家臣の太田道灌おおた どうかんを殺した翌年、山内上杉家と18年の内戦を戦い、1505年に降伏する。

1490年代
伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆・相模進出

後北条氏の前身が伊豆から小田原へ基盤を広げる。

1524年
北条氏綱の江戸城奪取

扇谷上杉氏から江戸城を奪い、後北条氏が武蔵へ進む足場を得る。

1538年
第一次国府台合戦

北条氏綱ほうじょう うじつなが下総国府台(今の千葉県市川市)で小弓公方(古河公方から分かれた足利義明よしあき)を討ち、房総へ勢力を伸ばす。

1546年
河越合戦

北条氏康が両上杉氏らを破り、武蔵方面で優位を固める。

1561年
上杉謙信の小田原攻め

上杉謙信が関東へ出兵して小田原城を囲み、鎌倉で関東管領かんとうかんれいを継いで北条氏と対立する。

1564年
第二次国府台合戦

北条方の離反を機に下総へ入った里見義弘を北条氏康が破り、国府台一帯を支配下に置く。

1569年
三増峠の戦い

武田信玄たけだ しんげんの小田原攻めと撤退戦が、甲相関係を大きく動かす。

1569年
越相同盟

北条氏康が武田信玄との対立を受け、宿敵だった上杉謙信と同盟を結ぶ。

1590年
小田原征伐

秀吉の全国動員で後北条氏が降伏し、家康の関東入封へつながる。

1 公方・上杉・北条を分ける

最初に権威と軍事力を持つ勢力を分けて置く。

2 支城網と国境戦を読む

小田原から遠い城ほど、国衆・川・街道の管理が重要になる。

3 小田原から江戸へ

1590年を、北条氏滅亡だけでなく関東中心の移動として読む。

都市と城から、地域の仕組みを確かめる

本拠の位置、港、街道、河川を見ると、なぜその大名がその方向へ進んだのかが分かる。

このルートの使い方

  • 最初は転換点を上から読み、地域全体の順序をつかむ。
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戦国の関東から、次にたどる

地域史は国境で終わらない。同盟・街道・海路・全国政権を通じて、隣の地域へ続く。

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参考にした資料