1487〜1541年 / 小田原北条氏 二代・北条改姓・武蔵進出

北条氏綱ほうじょう うじつな

北条氏綱は、小田原北条氏の二代目当主です。父の伊勢宗瑞(北条早雲)から伊豆・相模を受け継ぎ、1520年代に名字を伊勢から北条へ改めました。武蔵へ進出して江戸城を押さえ、鶴岡八幡宮を再建し、1538年の国府台合戦で房総方面にも勢力を広げます。「北条氏」という家の形を実際に作ったのは、この氏綱でした。

早雲の子 1520年代 北条へ改姓 江戸城攻略・鶴岡八幡宮再建 1538年 国府台合戦

要点

  • 「北条」を名乗った最初の当主。鎌倉幕府の執権を出した北条氏の名を借り、関東を治める家としての正当性を示した。改姓の時期は1523年ごろとされる。
  • 本拠を小田原に定めた。父の代の韮山から小田原へ中心を移し、以後五代にわたる本拠とした。
  • 武蔵へ進出した。1524年に江戸城を扇谷上杉氏から奪い、武蔵南部を勢力下に置いた。
  • 鶴岡八幡宮を再建した。戦火で焼けた鎌倉の鶴岡八幡宮を再建し、関東の支配者としての姿を内外に示した。
  • 国府台合戦で房総へ。1538年、小弓公方の足利義明を討ち、下総・上総方面にも力を伸ばした。
人物

何をした人物か

氏綱は1519年に父・宗瑞の跡を継ぎました。受け継いだのは伊豆と相模の二国です。氏綱はまず、本拠を小田原に定め、名字を伊勢から北条へ改めました。伊勢氏は室町幕府の役人の家であり、関東を治める家としては由緒が足りません。鎌倉時代に関東を治めた北条氏の名を継ぐことで、関東の武士たちに「自分たちは関東の正統な支配者だ」と示す狙いがあったと考えられています。

氏綱は武蔵への進出を本格化させ、1524年に江戸城を奪いました。さらに鎌倉の鶴岡八幡宮の再建に取り組み、関東の武士や寺社の信頼を集めます。1538年の国府台合戦では、古河公方から分かれた小弓公方の足利義明を討ち取り、房総方面へ勢力を広げました。

1541年に死去。子の氏康に残した「勝って兜の緒を締めよ」の言葉で知られる遺言は、後世の記録によるものですが、氏綱の堅実な領国経営の姿勢をよく表しています。北条氏が「関東の家」として認められる土台は、氏綱の代に作られました。

年表

年表で追う

  1. 011487年:誕生

    伊勢宗瑞の子として生まれる。

  2. 021519年:家督相続

    父の死により伊豆・相模を継ぐ。本拠を小田原へ。

  3. 031523年ごろ:北条へ改姓

    名字を伊勢から北条に改める。

  4. 041524年:江戸城を奪う

    扇谷上杉氏から江戸城を奪い、武蔵へ進出。

  5. 051538年:国府台合戦

    小弓公方足利義明を討ち、房総へ勢力を広げる。

  6. 061541年:死去

    家督は氏康へ。

注意点

氏綱を読むときに気をつけたいこと

  • 改姓の年は確定していない。1523年ごろとされるが、史料上で「北条」の名乗りが確認できる時期には幅がある。
  • 鎌倉北条氏との血縁はない。名を借りた改姓であり、系譜上のつながりはない。氏綱自身は鎌倉北条氏の系統を意識した演出を重ねたが、それは政治的な選択として読む。
  • 遺言「勝って兜の緒を締めよ」は後世の記録。氏綱の言葉として伝わるが、同時代の史料で確かめられるものではない。
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参考にした資料