管領とは?
管領とは、室町幕府で将軍を補佐した役職のことです。将軍の命令を文書にして各地の守護へ届け、幕府の政務を取り仕切りました。細川・斯波・畠山の三家から一人が選ばれて務め、応仁の乱のあとは細川氏がほぼ独占します。
執事から管領へ——将軍家の家来頭が、幕府の政務のトップになった
「管領」という言葉は、室町幕府の始まりからあったわけではない。もとの名は執事で、1360年代に管領と呼ばれるようになった。
執事 将軍家の家政を取り仕切る家来頭
執事は、足利将軍家の家の中の仕事を取り仕切る役だった。幕府が全国の守護を束ねる政権へ育つにつれて、家の中の役では収まらなくなる。1362年に執事に就いた斯波義将のころが、管領へ変わる前の段階になる。
管領 幼い将軍を支え、政務を総覧する役
1367年、幼い3代将軍・足利義満を支える役として細川頼之が管領に就いた。このころから管領が出す文書の数が、執事の時代と比べて格段に増える。管領という名前と役割は、頼之のころに固まったとされる。
奉書という仕事——将軍の命令を届けるのが、管領の実体だった
管領が何をしていたかは、管領が出した文書そのものに残っている。将軍の仰せを受けて、それを文書にして相手へ届ける。この形式の文書を奉書と呼ぶ。
史料 1376年、細川頼之が出した奉書
将軍義満の仰せを受けた管領・細川頼之が、信濃国の守護・上杉朝房に宛てて出した文書が残る。内容は、信濃国の神野郷(今の長野県中野市)の土地を不当に押さえている井上氏を退け、正当な相手に土地を引き渡して受取状を出させよ、というもの。土地争いの裁定を、将軍の名で守護に実行させる——管領の日常の仕事になる。
限界 管領は主君ではない
奉書はあくまで将軍の意思を「奉じる」文書で、管領が自分の名で命令したものではない。訴訟や文書の実務は奉行人たちが担い、管領一人で政務が回っていたわけでもない。就任には多くの出費も伴い、斯波義淳のように就任を固辞し、退任を願い出た例もある。
三管領——細川・斯波・畠山から、将軍が一人を選んだ
14世紀の終わりまでに、細川氏・斯波氏・畠山氏の三家が管領を出す家として定まり、この三家を三管領と呼ぶ。順番制ではなく将軍が一人を選び、同じ人物の再任も、長い在職もあった。
細川氏 要所に必ず名前が出る家
細川氏は、本家の京兆家が摂津・丹波・讃岐・土佐などの守護を持ち、瀬戸内に一族の守護家を広げた。管領制を固めた頼之、応仁の乱の細川勝元、明応の政変の政元と、節目ごとに細川の名が出る。乱のあとは管領をほぼ独占した。
斯波氏 大国を任され、守護代に食われた家
斯波氏は、越前・尾張・遠江など東海道・北陸の大国の守護を務め、執事から管領へ切り替わる時期には義将が幕政を担った。広い分国を守護代に任せたため、越前の朝倉氏、尾張の織田氏が自立すると力を失っていく。
畠山氏 家督争いが応仁の乱を呼んだ家
畠山氏は、河内・紀伊・越中などが基盤で、1398年の畠山基国の就任で三家の枠組みがそろった。持国の後継をめぐる義就と政長の争いが、応仁の乱の火種になる。
明応の政変——補佐役の管領が、将軍を交代させた
応仁の乱で幕府そのものが東西に割れると、管領の権威だけで幕府を束ねることはできなくなった。乱のあと、管領の座は細川京兆家(細川氏の本家)がほぼ独占する。
関東管領——鎌倉公方の補佐役を、上杉氏が世襲した
同じ「管領」の名を持つ職が、関東を治める役所・鎌倉府にもあった。足利尊氏が幕府を開いたときに、鎌倉府の長官である鎌倉公方を補佐する役として置いたものになる。
管領の疑問に答える
管領は何人いた?
同時に一人になる。「三管領」は三人の管領のことではなく、管領を出す資格を持つ三つの家の呼び名で、その中から将軍が一人を選んだ。
参考にした資料
- 同志社大学「南北朝後期における室町幕府政治史の再検討(下)―足利義満と斯波義将―」(執事から管領への移行・頼之期に管領の発給文書が増えたこと)
- 国立国会図書館レファレンス協同データベース「室町幕府の管領・侍所の一覧」(管領(執事)が一つの職として一覧化されていること)
- 国立歴史民俗博物館「室町幕府管領奉書」(1376年の細川頼之の奉書の内容)
- 兵庫教育大学「管領斯波義淳の就任・上表をめぐって」(就任の固辞と退任の願い出・斯波氏の分国=越前・尾張・遠江と守護代)
- 大阪市立大学「室町幕府:守護体制下の分国支配構造―細川京兆分国丹波の国を事例に」(細川京兆家の分国=摂津・丹波・讃岐・土佐と、15世紀半ば以降の管領独占)
- 阿南市「阿波公方の歴史とその意義」(明応の政変の内容・政元暗殺後の細川家の後継者争い・三好長慶の京都支配)
- 新潟大学「中世後期畿内近国守護の研究―畠山氏の家系・分国支配」(畠山氏の分国と家督争い)
- 藤岡市「関東管領 上杉氏」(関東管領の設置と役割)
- 埼玉県立文書館「室町時代の文書を読む」(関東管領=鎌倉公方の補佐役で上杉氏が務めたこと・享徳の乱)
- 藤岡市「藤岡デジタル博物館 中世関東の要、平井城と関東管領上杉氏の盛衰」(1546年の河越合戦で北条氏に大敗したこと・1552年に憲政が平井城を退いて越後へ移ったこと・1561年閏3月に景虎が鶴岡八幡宮で山内上杉家の家督と関東管領職を継いだこと)
- 長野市「川中島の戦い・主要人物 上杉憲政」(北条氏康に敗れた憲政が1552年に長尾景虎を頼って越後へ逃れたこと・景虎を養子として管領職を譲り上杉政虎と名乗らせたこと)
- 寄居町 鉢形城歴史館 企画展パンフレット「鉢形城主 上杉顕定」(景虎が関東奪還の大義のもとに憲政を奉じて関東侵攻を繰り返したこと)
- 厚木市「No.26 上杉謙信(長尾景虎)」(将軍義輝の内諾を得て関東管領職を引き継いだこと)