城ページ / 三河国・松平家と徳川家康の原点

岡崎城おかざきじょう

岡崎城は、三河国の矢作川やはぎがわ菅生川すごうがわが合流する丘に築かれた城です。松平清康が本拠として以来、松平家の中心となり、1542年には徳川家康がこの城で生まれました。今川家の支配を経て家康が取り戻し、江戸時代には「神君出生の城」として譜代大名が城主を務めました。

三河国 松平家の本拠 1542年 家康誕生

要点

  • 松平家の本拠になった城。15世紀半ばに西郷氏が築いたとされ、1530年ごろに松平清康が入って松平家の中心となった。
  • 家康が生まれた城。1542年、松平広忠まつだいら ひろただの子・竹千代(家康)がここで誕生。家康は幼くして人質に出され、城は今川家の管理下に置かれた。
  • 桶狭間のあと家康が戻った。1560年、今川義元いまがわ よしもとの死を機に家康は岡崎城に入り、ここから三河の再統一を始めた。
  • 江戸時代は「神君出生の城」。関東入封後は豊臣家臣の田中吉政たなか よしまさが城と城下を整備し、江戸時代には本多氏など譜代大名が城主を務めた。
歴史

岡崎城は、どう使われてきたのか

  1. 01西郷氏の築城

    15世紀半ば、三河の国衆・西郷氏が築いたと伝わります。矢作川の水運と東海道を押さえる位置にありました。

  2. 02松平清康の本拠に

    1530年ごろ、松平清康が西郷氏から城を得て本拠としました。清康は岡崎を拠点に三河の大半を従えますが、1535年に家臣に殺されます。

  3. 03家康の誕生と今川支配

    1542年、松平広忠の子として竹千代(家康)が城内で生まれました。広忠の死後、岡崎城には今川家の城代が入り、松平家臣は今川の下で働くことになります。

  4. 04家康の帰還(1560年)

    桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、家康は岡崎城に入りました。ここを拠点に三河一向一揆を乗り越え、三河を統一します。1570年に本拠を浜松へ移したあとは、嫡男の松平信康まつだいら のぶやすが城主となりました。

  5. 05田中吉政の整備

    1590年の関東入封で家康が去ると、豊臣家臣の田中吉政が城主となり、石垣や堀、城下町を大きく整備しました。現在の城の骨格はこのときに作られたものです。

  6. 06江戸時代:神君出生の城

    家康の生まれた城として重んじられ、本多氏・水野氏など譜代大名が城主を務めました。現在の天守は1959年に再建されたものです。

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参考にした資料