八つの家の家系図
織田氏の家系図
信定→信秀→信長→信忠→秀信の直系は1605年で絶えるが、信雄の天童藩、信高らの旗本、長益の柳本・芝村藩が幕末まで続く。
豊臣家の家系図
秀吉の実子は鶴松と秀頼だけ。秀次・秀秋・豪姫・秀保は養子。秀次事件と大坂の陣で家は消え、ねねの実家・木下家だけが残った。
徳川家の家系図
松平清康から八代将軍・吉宗まで。家康の子を御三家に立て、将軍家が絶えたとき紀伊家の吉宗が本家を継いだ。
武田氏の家系図
信虎の追放、義信の廃嫡、勝頼の継承、天目山の滅亡。信玄の次男・信親の系統が高家武田として江戸時代に続く。
北条氏の家系図
早雲から氏直までの五代と、氏康の子が分担した支城網。小田原開城後も氏規の系統が狭山藩として幕末まで続く。
毛利氏の家系図
元就の三人の息子が毛利・吉川・小早川を継いだ「両川」の形。本家は長州藩へ、小早川家は秀秋で断絶。
上杉氏の家系図
長尾為景から米沢藩の鷹山まで。謙信も景勝も鷹山も養子——名跡を誰が継ぐかで続いた家。
島津氏の家系図
貴久の四兄弟から、義弘の子・忠恒が義久の婿として薩摩藩初代に。戦国から明治まで同じ土地を治めた家。
家系図を読むときの注意
- 載せている人物は一部。信長や家康には十人を超える子がいる。図には家の流れ(家督・養子・滅亡・存続)に関わる人物だけを置き、その旨を各図に注記した。
- 生年・続柄に諸説ある人物がいる。戦国期の女性や幼くして死んだ子は記録が少なく、生年や母が確定しないことが多い。図は通説に従い、疑問のある点は各家のページの「注意点」で触れている。
- 「滅亡」と「断絶」を分けて読む。大名として滅んだ家でも、旗本や高家、別の藩として血筋が続いた例が多い。各図の下段の緑の箱がそれにあたる。