要点
- 北条氏はここから始まった。1493年、伊豆へ討ち入った伊勢宗瑞(北条早雲)が韮山に城を築いて本拠とした。小田原城を得たあとも宗瑞は韮山に住み、1519年にここで死去した。
- 伊豆支配の要だった。本拠が小田原に移ったあとも、韮山城は伊豆の政治と軍事の中心であり続けた。氏康の子で外交を担った北条氏規が城主となった。
- 1590年、3か月籠城した。小田原合戦で、氏規は織田信雄らの4万を超える軍に囲まれながら持ちこたえた。小田原城の開城後、家康の説得で城を明け渡した。
- 徳川の関東入封で役目を終えた。家康の家臣・内藤信成が城主となったが、1601年に廃城となった。
- 2025年に国史跡へ。韮山城跡と、小田原合戦で豊臣方が築いた付城跡が「韮山城跡 附 付城跡」として国史跡に指定された。
韮山城は、どう使われてきたのか
- 011493年ごろ:宗瑞の築城
伊豆討入を果たした伊勢宗瑞が、韮山の丘陵に城を築いて本拠とした。
- 021519年:宗瑞の死
宗瑞は韮山城で死去。家督を継いだ氏綱は本拠を小田原に移す。
- 0316世紀半ば:伊豆支配の拠点
北条氏の伊豆支配の中心として整備され、のちに北条氏規が城主となる。
- 041590年:小田原合戦の籠城
氏規が4万を超える豊臣軍を相手に3か月籠城。小田原開城後に明け渡す。
- 051590〜1601年:徳川の城、そして廃城
内藤信成が城主となったが、1601年に廃城。
- 062025年:国史跡に指定
付城跡とあわせて「韮山城跡 附 付城跡」として指定された。
韮山城は、北条氏にとって何だったのか
- 家の「原点」だった。小田原が五代の本拠なら、韮山は初代が最初に築き、最後まで住んだ城である。北条氏の出発点を示す場所として、一族のなかで特別な意味を持った。
- 伊豆と相模をつなぐ位置にあった。韮山は伊豆の中央にあり、小田原と伊豆南部・駿河方面を結ぶ要だった。今川氏や武田氏との関係が動くたびに、韮山の守りが問われた。
- 1590年の籠城が、城の価値を示した。小田原の支城が次々と落ちるなかで韮山城は持ちこたえた。氏規の統率と、丘陵と湿地を生かした縄張りの堅さが評価されている。
城を築いた宗瑞については北条早雲(伊勢宗瑞)で、北条氏の全体像は北条氏で整理しています。