1558〜1639年 / 阿波・徳島城・蜂須賀家

蜂須賀家政

蜂須賀家政は蜂須賀正勝の子で、豊臣秀吉の四国平定後に阿波を与えられ、徳島城下を整えた大名です。中央の軍事が地域の城下町へ変わる過程を追います。

最初に押さえる

  • 父正勝に代わって阿波へ入った。
  • 徳島城と城下を領国支配の中心にした。
  • 阿波の国衆・海上交通・吉野川流域をまとめる役を担った。
  • 関ヶ原後も阿波を保ち、徳島藩の基盤を作った。

生涯を通して見る

1585年の四国平定後、阿波は蜂須賀家へ与えられました。父正勝は中央で秀吉を支えることを選び、実際に阿波へ入って地域を治めたのは家政です。この親子の分担を押さえると、蜂須賀家がどう大名になったかが見えます。

家政は徳島城を中心に、吉野川の流域と海へ開く地域を治めました。城は軍事施設だけでなく、家臣を集め、町をつくり、年貢や物資を動かす中心です。阿波を戦国の国衆の世界から近世の領国へ移す仕事がありました。

関ヶ原後も家政は阿波を保ちます。四国平定で置かれた大名が、徳川初期にも地域支配を続ける例として、豊臣と徳川を切らずに読む価値があります。

年表で追う

1585年
阿波へ入国

四国平定後、蜂須賀家が阿波を領する。

1580〜90年代
徳島城下の整備

城・家臣地・町を結ぶ領国の中心を作る。

1600年
関ヶ原

阿波の蜂須賀家は領地を維持する。

江戸初期
徳島藩の基盤

家臣団と地域をまとめ、長期の統治へつなぐ。

四つの視点

父正勝との分担

正勝を古参、家政を阿波の領主として分けて見る。

川と海

吉野川と瀬戸内・紀伊水道への交通が阿波の支配を左右した。

城下町

徳島城は、軍事・行政・商いを集める地域の中心だった。

政権交代

豊臣期の配置が、関ヶ原後もそのまま続く場合があった。

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