最初に押さえる
毛利勝永は大坂方で実戦の指揮を担った武将です。豊臣家の最終局面を、城内政治だけでなく、各戦場を動かした軍事指揮官から読めます。
大坂城へ入った意味
勝永は大坂城へ入り、冬の陣・夏の陣で豊臣方の主力を担いました。夏の陣の天王寺・岡山方面では、多くの部隊が同時に動きました。勝永のページからは、豊臣方を一人の英雄の軍ではなく、複数の将と浪人が連携する軍として見ることができます。
豊臣方の人物を読むときは、合戦での勇敢さだけでなく、どの主家から来たのか、なぜ大坂城に集まったのか、城内の政治と戦場でどんな役割を担ったのかを分けて考える必要があります。
四つの視点
浪人衆
旧主家を失った武将が、豊臣方の軍事を支えた。
大坂城
城は豊臣家の居城であると同時に、各地の人材が集まる拠点だった。
冬の陣と夏の陣
講和を挟んで、防御戦から野戦へ条件が大きく変わった。
豊臣家の終幕
個人の最期を、政権と家臣団の終わりのなかに置いて読む。