足利義昭の追放とは?
まず押さえたい四つのこと
協力から始まった
義昭には将軍就任の支え、信長には京都で政治に関わる足場が必要でした。二人は最初から敵ではありません。
主導権の対立
将軍の権威と信長の軍事力は、京都で並び立つ力でした。追放は、誰が政治を動かすかという問題の決裂です。
槇島城が最後の場面
義昭は京都を離れて槇島城に立てこもります。ここでの敗北と降伏が、京都追放につながります。
幕府の終わり
義昭が京都を去った1573年は、一般に室町幕府の終わりと位置づけられます。ただし義昭本人の活動は追放後も続きます。
人物・場所との関係
| 足利義昭 | 室町幕府15代将軍。信長と上洛して将軍になりますが、1573年に京都を追われます。 |
|---|---|
| 織田信長 | 義昭を奉じて上洛した大名。追放後は将軍を介さず、京都・畿内の政治を動かす立場を強めます。 |
| 織田信長の上洛 | 1568年、二人が協力して京都へ入った出来事。追放はその協力関係の終わりです。 |
| 信長包囲網 | 義昭と信長の対立が、朝倉・浅井・本願寺などを含む広い対立と重なる局面です。 |
| 槇島城 | 1573年、義昭が立てこもった城。信長に攻められ、京都追放につながります。 |
| 朝倉・浅井 | 義昭の追放と同じ1573年に、朝倉氏・浅井氏も滅亡します。近江・越前の対抗軸が大きく崩れます。 |
協力から追放までの年表
室町幕府は、何が終わったのか
| 見る点 | 1573年の意味 |
|---|---|
| 将軍の京都支配 | 京都にいる将軍・義昭が追放され、室町将軍を中心に京都を動かす形が終わります。 |
| 信長の立場 | 信長は将軍を支える大名から、将軍不在の京都で政治・軍事を動かす存在へ変わります。 |
| 反信長勢力 | 義昭を政治的な旗印とする選択が弱まり、各地の勢力は別の条件で信長と向き合うことになります。 |
| 時代の区切り | 幕府の終わりは、全国統一の完成を意味しません。信長の戦いはなお続きます。 |
追放で、すべてが終わったわけではない
義昭は生き続ける
京都を追われても、義昭は将軍職をすぐに失ったわけではありません。各地に支持を求める動きは続きます。
信長の戦いも続く
本願寺、毛利、武田などとの対立は残ります。1573年は、信長が全国を統一した年ではありません。
朝倉・浅井は同年に終わる
越前の朝倉氏、近江の浅井氏も1573年に滅亡します。京都の外側にあった有力な対抗軸が大きく崩れます。
ここは混同しない
- 義昭の追放は1573年。信長と義昭が上洛した1568年とは別の事件です。
- 義昭は上洛させられただけではなく、自ら将軍就任のため各地に協力を求めた人物です。
- 義昭追放は室町幕府の終わりとされますが、信長の全国統一の完成ではありません。
- 義昭は追放後も生き、1588年に将軍職を辞します。
足利義昭の追放についてのよくある疑問
なぜ義昭と信長は対立したのか?
信長は義昭を将軍に立てながら、幕府の政治を制限する条項を義昭に認めさせ、義昭の自由な行動を抑えました。義昭は将軍として諸大名を動かそうとし、信長はそれを許さなかったため、数年で対立が表面化しました。
義昭は本当に信長包囲網を作ったのか?
義昭が武田信玄・浅井・朝倉・本願寺らに書状を送って信長打倒を呼びかけたことは確かです。ただし各勢力は義昭の命令で一つの軍団として動いたわけではなく、それぞれの事情で信長と敵対していました。義昭の役割は「呼びかけ」であり、「指揮」ではありませんでした。
義昭は将軍をやめさせられたのか?
追放されても義昭は将軍の職を失っておらず、朝廷も解任していません。義昭は鞆に移ってからも将軍として文書を出し続け、将軍職を正式に辞したのは1588年です。「室町幕府の滅亡は1573年」は京都からの追放を基準とした区切りです。
追放後の義昭はどうしていたのか?
義昭は毛利氏を頼って備後の鞆に移り、信長包囲網の再建を図りました。本能寺の変後は秀吉と交渉し、1587年に京都へ戻って翌年に将軍職を辞し、秀吉から1万石を与えられて1597年に死去しました。
10問クイズ
Q1. 足利義昭が京都を追われた年は?
A. 1573年です。
Q2. 義昭を追放した人物は?
A. 織田信長です。
Q3. 義昭が立てこもった城は?
A. 槇島城です。
Q4. 義昭は何代将軍?
A. 室町幕府15代将軍です。
Q5. 義昭と信長が京都へ入った年は?
A. 1568年です。
Q6. 義昭追放は一般に何の終わりとされる?
A. 室町幕府の終わりです。
Q7. 義昭追放は信長の全国統一の完成?
A. いいえ。各地との戦いはまだ続きます。
Q8. 1573年に越前で滅亡した大名は?
A. 朝倉氏です。
Q9. 義昭は追放後も生きていた?
A. はい。1588年に将軍職を辞しました。
Q10. 義昭と信長の対立は、何をめぐる争いとして見ると分かりやすい?
A. 京都の政治を誰が主導するかをめぐる争いです。
参考にした資料
義昭と信長の関係には、将軍の権威や追放後の位置づけをめぐる研究上の論点があります。1568年の協力、1573年の追放、室町幕府の終わりという大きな流れを軸に整理しています。