要点
- 仕組みは「国>郡>郷・村」の三段重ねになる。飛鳥〜奈良時代の律令制で、全国は66の国(と2つの島)に分けられ、国の下に郡、そのさらに下に郷や村が置かれた。国は五畿七道という大きなブロックにまとめられ、国ごとに国府という役所が置かれた。一国の中の郡は数個から十数個で、全国あわせるとおよそ600になる。
- 戦国では「国=肩書き、郡=実務」と使い分けられた。守護や大名の格は「加賀守護」「尾張の大名」と国単位で語られるが、実際の領地のやりとりや支配の実務は郡単位が多い。信長が光秀に与えたのは近江一国ではなく滋賀郡だし、長島は伊勢国の桑名郡、加賀一向一揆の運営単位も郡だった。一つの郡は、有力武将一人への恩賞としてちょうどいいサイズだったことになる。
- 国は消えたが、郡は今も住所に生きている。明治に県が置かれて国は地図から消えたが、郡は行政区分として残り、市になっていない町村の住所には今も「〜郡〜町」と付いている。愛知県は尾張国の愛知郡から、石川県は加賀国の石川郡から取られた名前で、戦国の地名感覚は郡名を手がかりにすると現代の地図とつながる。
三つの国の「中身」を見てみる
| 山城国 (8郡) | 乙訓・葛野・愛宕・紀伊・宇治・久世・綴喜・相楽。山城国一揆の舞台「南山城」は、南側の久世・綴喜・相楽のあたりを指す。国の半分だけで自治をやった、と郡で見ると解像度が上がる。 |
|---|---|
| 尾張国 (8郡) | 海東・海西・中島・葉栗・丹羽・春日井・愛知・知多。信長の出発点の国。県名の「愛知」は名古屋を含む愛知郡から取られた。丹羽長秀の丹羽は、この丹羽郡が名字の由来とされる。 |
| 加賀国 (4郡) | 江沼・能美・石川・河北。加賀一向一揆が国を運営した単位がこの4郡で、郡ごとの寄り合いが裁判や動員を担った。県名の「石川」は石川郡から来ている。 |
66国すべての並びと読み方は旧国名のページで整理しています。
「国=今の県」ではない
よくある誤解 国と県は一対一?
国と県はだいたい重なるが、一対一ではない。摂津国は大阪府と兵庫県にまたがり、武蔵国は東京都・埼玉県と神奈川県の一部に分かれた。逆に石川県のように加賀と能登の2国が1県になった例もある。「国境と県境はズレることがある」と覚えておくと、古戦場の位置で混乱しなくなる。
確かめられること 律令に始まる長寿の区分
五畿七道と国・郡の区分は律令時代の地方行政制度で、国土交通省の道の歴史の解説や、平安時代の法典『延喜式』(国宝、文化庁のデータベースで確認できる)にその姿が残る。飛鳥時代に生まれた区分が明治まで約1200年使われ続けたことになり、戦国大名もこの古代の枠組みの上で領地を数えていた。
郡が分かると、戦国の何が見えるのか
- 大名の力は、国より郡で数えると正確になる。「一国の主」と言っても、実際は国の半分の郡しか押さえていないことは多い。守護が半国ずつ分け合う例もあれば、松永久秀のように肩書きなしで大和の郡々を実効支配した例もある。国は名刺、郡は実力と分けて見るのがコツになる。
- 恩賞のニュースは郡単位で読む。「光秀に滋賀郡」「秀吉に長浜周辺」のように、手柄への恩賞は郡やその一部で与えられることが多い。誰がどの郡をもらったかを追うと、家臣団の中での序列の変化がそのまま見えてくる。
- 今の住所から、戦国の土地勘が作れる。「〜郡〜町」という住所や、郡名由来の県名・市名は、律令から続く区分の生き残りになる。旅先で郡名を見かけたら、その土地が戦国にどの国の何郡だったかを引いてみると、歴史と地図がつながる。