戦国の主要都市 / 讃岐国

高松

生駒親正が瀬戸内海へ開いた海城と城下町。高松を「有名な城がある場所」としてではなく、地形、人の流れ、支配者の交代、町のつくり替えから読む。

まず押さえる

高松は、何を動かした都市か

讃岐平野北部の玉藻浦に面し、瀬戸内海の航路と四国山地へ向かう道を結ぶ。海水を堀へ引く城と港を一体にできた。

1587年に讃岐一国を与えられた生駒親正は、翌年から高松城を築いた。野原と呼ばれた港町を基礎に、城・武家地・商人町・船蔵を整える。丸亀などから商人を招いたことは、領国の人と商いを新しい中心へ集める政策だった。

  • 現在地:香川県高松市
  • 戦国での役割:生駒親正が瀬戸内海へ開いた海城と城下町
  • 読みどころ:城・港・市場・寺社を、支配者だけでなく都市の働きとして見る。

支配者が替わると、都市の何が変わる?

高松は長宗我部氏の四国支配が秀吉の四国攻めで終わり、豊臣系大名が配置された後に生まれた。海城の建設は、讃岐支配を山城や国衆の連合から、瀬戸内海に開く大名領へ組み替える転換だった。

海城

堀に海水を引き、船が城近くまで出入りできた。

商人の移住

周辺都市から商人を集め、城下の市場と町を育てた。

瀬戸内支配

本州・四国を結ぶ海上交通が讃岐の政治と経済を支えた。

城だけを見ないための三つの視点

人が集まる理由

武将の居城だけでは町は続かない。港、川、街道、寺社、市場のどれが人と物を呼んだのかを確かめる。

支配の届き方

城下・寺内町・港町では、家臣、町衆、寺社、商人が違う役割を持つ。誰が何を管理したのかを見る。

転機の後

合戦や政変で領主が替わった後、道・川・市場・城下がどう組み替えられたかを追うと、都市の変化が見える。

戦国期の高松 年表

1585年
秀吉の四国平定

長宗我部氏の広域支配が後退する。

1587年
生駒親正が讃岐へ

豊臣政権の大名配置が固まる。

1588年
高松城築城開始

玉藻浦に海城と城下をつくる。

1600年以後
生駒氏が継承

関ヶ原後も城下町整備が続く。

「高松」と「讃岐国」は同じではない

高松は人・物・権力が集まる都市、讃岐国はより広い地域を表すである。都市だけでは周辺の国衆や生産地が見えず、国だけでは城下・港・市場の具体的な働きが見えにくい。この二つを行き来すると、戦国の地域が立体的に読める。

参考にした資料