城ページ / 越前国・柴田勝家の本拠

北ノ庄城きたのしょうじょう

北ノ庄城きたのしょうじょうは、越前国(福井市中央)に柴田勝家が築いた城です。1575年、信長が越前の一向一揆を平定すると、勝家は越前8郡を与えられ、足羽川と吉野川の合流点に本拠を築きました。宣教師ルイス・フロイスの記録には、安土城に次ぐ壮大な城で、天守は九層だったとあります。1583年、賤ヶ岳の戦いで秀吉に敗れた勝家は北ノ庄城に戻り、妻のお市の方とともに自害。城は炎上しました。江戸時代に結城秀康ゆうき ひでやすが同じ場所に福井城を築いたため、北ノ庄城の遺構は福井城の下に埋まり、石垣の一部が発掘で確認されています。

1575年〜1583年 柴田勝家 九層の天守と伝わる 福井城の下に眠る

要点

  • 1575年、柴田勝家が築いた。越前一向一揆の平定後、信長から越前を与えられた勝家が、北陸支配の本拠として築いた。
  • 安土城に次ぐ大城と伝わる。フロイスは九層の天守と屋根瓦に石を使った城と記した。ただし実際の規模は発掘で確かめられていない部分が多い。
  • 北陸方面軍の司令部だった。勝家はここから加賀・能登・越中へ攻め、前田利家まえだ としいえ佐々成政さっさ なりまさらを率いた。
  • 1583年、勝家とお市の方が自害した。賤ヶ岳で敗れた勝家は城に戻り、秀吉軍に囲まれて天守に火を放ち、お市の方とともに自害した。
  • 福井城の下に埋まっている。1601年に結城秀康が同じ場所に福井城を築いたため、北ノ庄城の姿は発掘でしか分からない。
歴史

北ノ庄城は、どう使われてきたのか

  1. 011575年、越前平定と築城

    信長が越前の一向一揆を平定し、勝家に越前8郡を与えた。勝家は北ノ庄に築城を始め、城下町の整備を進めた。

  2. 02北陸攻めの拠点

    勝家は北ノ庄を拠点に加賀一向一揆と戦い、1577年の手取川の戦いでは上杉謙信うえすぎ けんしんに退けられたが、1580年に加賀を制圧した。

  3. 031581年、フロイスの訪問

    宣教師ルイス・フロイスが北ノ庄を訪れ、城の壮大さを記録した。九層の天守という記述はこの記録による。

  4. 041582年、本能寺の変とお市の方との結婚

    信長の死後、清洲会議を経て勝家はお市の方と結婚し、北ノ庄に迎えた。お市の方は三人の娘とともに入城した。

  5. 051583年4月、賤ヶ岳の敗戦と落城

    賤ヶ岳で秀吉に敗れた勝家は北ノ庄に戻ったが、秀吉軍に囲まれた。4月24日、勝家は天守に火を放ち、お市の方とともに自害。三姉妹は城を出て秀吉に保護された。

  6. 061601年、福井城の築城

    関ヶ原後、家康の次男・結城秀康が越前に入り、北ノ庄城の跡に福井城を築いた。北ノ庄城の遺構はその下に埋まった。

  7. 07現在

    福井城址の南に北ノ庄城址・柴田公園があり、発掘で確認された石垣の一部と、勝家・お市の方・三姉妹の像がある。

どう読むか

北ノ庄城を読むときの三つの視点

  • 「九層の天守」は記録であって遺構ではない。フロイスの記述は重要だが、発掘で確かめられた部分は限られる。安土城と比べる話は慎重に読む。
  • 勝家の北陸軍団の中心。前田利家・佐々成政・佐久間盛政さくま もりまさらが勝家の与力として北陸に配され、北ノ庄はその司令部だった。
  • お市の方と三姉妹の物語の舞台。小谷城に続いて二度目の落城を経験したお市の方と、生き延びた茶々・初・江。北ノ庄は三姉妹の運命の分岐点。

北ノ庄城は現存する遺構がごく少なく、記録と発掘から姿を想像する城です。勝家の最期の場所として知られますが、信長の北陸支配の拠点として8年間機能したことも忘れずに読みます。

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参考にした資料