人物ページ / 家老・堀監物直政 / 福島城の築城を主導

堀直政ほり なおまさ

堀直政は、堀秀治ほり ひではる・忠俊父子を支えた家老として、越後福島城の築城を主導した人物です。家老としての実務と判断から、堀家の歩みを読みます。

堀直政とは?

  • 堀秀治・忠俊父子に家老として仕えました。
  • 慶長12年(1607)、越後福島城の築城を中心となって進めました。
  • 堀家は慶長15年(1610)に改易(所領を取り上げられること)となり、代わって入った松平忠輝まつだいら ただてるが、福島城とは別の菩提ヶ原に高田城を築きました。

何をした人物か

直政は、堀秀治・忠俊父子に家老として仕えました。監物けんもつ(古い官職の名)と称し、慶長3年(1598)に上杉景勝うえすぎ かげかつが会津へ移った後、越後の春日山城主となった堀秀治を支えます。

慶長12年(1607)、堀氏は越後ではじめての近世の平城(山を使わない城)として福島城(今の新潟県上越市)を築きました。家老の堀監物直政を中心に、平地で軍備と港の機能を生かせる城として築かれたと伝わります。城主は堀秀治・忠俊父子で、越後一国を治める大名にふさわしい規模の城でした。

しかし慶長15年(1610)、堀家は改易となりました。代わって徳川家康とくがわ いえやすの六男・松平忠輝が信濃国川中島から入り、慶長19年(1614)に高田城を築いたことで、福島城はわずか7年で廃城となります。直政が中心となって築いた城は、短い間で役目を終えました。

年表で追う

1598年
春日山城主を支える

上杉景勝の会津移封後、堀秀治が春日山城主となり、直政が家老として支えます。

1607年
福島城を築く

家老の直政を中心に、越後ではじめての近世平城・福島城を築きます。

1610年
堀家、改易

堀家は改易となり、所領を失います。

1614年
福島城、廃城へ

松平忠輝が高田城を築き、福島城はわずか7年で廃城となります。

読み直す視点

家老

当主を支え、城普請や政務を担った家老の働き。

越後の三城

春日山・福島・高田と、短期間で城が移り変わった越後の政治。

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参考にした資料

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