厳島の戦いとは?
- 1555年、毛利元就が陶晴賢を厳島で破った。大内氏の実権を握った晴賢の軍が厳島の宮尾城を攻めるなか、元就は島へ渡って晴賢の陣を急襲した。
- 元就は晴賢に従っていた。1551年の晴賢の謀反では元就は協力したが、1554年に決裂した。
- 水軍が勝敗を分けた。毛利・小早川の水軍が陶方の援軍の渡海を防ぎ、来島村上氏の水軍200〜300隻の来援で海上を封鎖した。
- 上陸からの急襲だった。元就は9月29〜30日に厳島の鼓が浦に上陸し、博奕尾を越えて、10月1日に晴賢の陣を攻め落とした。晴賢は島の大江浦で自害した。
- 毛利氏が西国の主役になった。晴賢の死で大内氏は崩れ、元就は周防・長門へ進んで1557年に大内氏を滅ぼした。
何が起きた戦い?
ざっくり年表
奇襲だけで覚えない
厳島は「少ない毛利軍が大軍の陶軍を奇襲した戦い」として有名です。けれど勝利の前には、元就が本土の城を押さえ、厳島を確保し、陶氏側の城を削っていく準備がありました。
また厳島は島です。海の交通を押さえること、どこから上陸するか、退路がどうなるかが重要でした。元就の勝利を一つの天才的な作戦だけにせず、戦場の条件と事前の積み重ねから見ると面白くなります。
なぜ元就は厳島を決戦場にしたのか
宮尾城を橋頭堡にする
毛利方は厳島北岸の宮尾城を確保しました。小さな城でも、島へ兵を送り、陶軍の動きを引きつける足場になります。
大軍の動きを狭める
島では上陸地点と移動経路が限られ、船がなければ退路も狭まります。兵力で勝る陶軍の利点を、そのまま発揮しにくい戦場でした。
海を渡る準備が要る
毛利軍も海上輸送なしには戦えません。渡海・上陸と、博奕尾を越える山越えからの攻撃を組み合わせられたことが、奇襲を成立させました。
厳島だけの一夜戦ではない
前年から広島湾頭の城をめぐる攻防が続いていました。宮尾城の構築、陶方の進出、渡海の準備という長い過程の先に決戦があります。
勝利の後、毛利氏はすぐ中国地方を統一したのか
厳島の戦いについてのよくある疑問
なぜ晴賢は厳島に上陸したのか?
元就は1554年に厳島を支配下に置き、島の宮尾城を改修して守りを固めました。晴賢がこの城を攻めるよう仕向けたとされ、元就が偽の情報を流して誘い出したという話も伝わりますが、こうした謀略の話は江戸時代の軍記物によるもので、史実とは言いがたいとされます。厳島は政治・経済・宗教・軍事の拠点で、陶方は5月・7月にも島を襲い、9月21日に晴賢自身が上陸しました。
兵力差はどれくらいだったのか?
晴賢軍2万に対して元就軍4千とする数字が知られていますが、後世の軍記物によるもので、確かめられていません。元就軍が少数だったことは確かとみられますが、数字そのものは伝承として読むのが適切です。
村上水軍はなぜ元就についたのか?
小早川隆景は、合戦の半年前に因島の村上吉充へ所領を約束しており、合戦直前の9月28日には来島の水軍200〜300隻が毛利方の加勢に着きました。能島の村上武吉も陶方の軍船を破ったとされます。水軍の協力で元就は厳島へ渡り、海上を封鎖して陶方の援軍を島へ渡らせないことができました。瀬戸内の水軍を動かした隆景の役割は大きかったとされます。
陶晴賢は「逆臣」だったのか?
主君の大内義隆を討ったことから逆臣とされてきましたが、近年は大内氏の一族として家を立て直そうとした行動と読む見方もあります。詳しくは陶晴賢で整理しています。
5問クイズ
Q1. 厳島で陶晴賢を破った人物は?
A. 毛利元就です。
Q2. 戦いが起きた年は?
A. 1555年です。
Q3. 戦場は島か、本土か?
A. 厳島という島です。
Q4. 陶晴賢が倒した主君は?
A. 大内義隆です。
Q5. 厳島後に元就を支える二人は?
A. 吉川元春と小早川隆景です。
参考にした資料
- 広島県立文書館: 広島県史年表(中世2)(1554年5月の毛利氏の断交と厳島の支配・1555年4月の隆景による村上吉充への所領の約束・陶方の厳島襲撃と宮尾城攻め・9月21日の晴賢上陸・9月28日の来島水軍の来着・9月29〜30日の鼓が浦上陸と博奕尾越え・10月1日の陣の攻略と晴賢の大江浦での自害)
- 広島県教育委員会: 郷土ひろしまの歴史「戦国大名とひろしま〜毛利元就〜」(厳島が政治・経済・宗教・軍事上の拠点だったこと・宮尾城を改修して備えたこと・1557年の大内氏滅亡)
- 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「村上武吉について知りたい。」(厳島合戦で村上武吉が陶方の軍船を破り毛利氏の勝利に貢献したとされること)
- 広島県: 県のプロフィール年表
- ひろしま文化大百科: 毛利元就(1554年6月の明石口=折敷畑の合戦・宮之城が囮の城ではなかったこと・毛利と小早川の水軍が大内方の援軍の渡海を止め、来島村上氏の200〜300艘が海上を封鎖したこと・謀略の逸話は江戸時代の軍記物によるとすること)
- 廿日市市: 文化財保存活用地域計画
