尾張の城 / 守山 / 信光が持った東部の基盤

守山城

尾張東部の守山にあった城です。松平清康が命を落とした「守山崩れ」の地として知られ、のちには織田信光が基盤としました。
信光が清洲掌握で信長に協力できた背景には、守山という独自の拠点がありました。

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守山は、尾張と三河が近づく場所

守山は尾張東部にあり、三河から尾張へ向かう勢力が意識する位置にありました。1535年には、三河の松平清康が尾張へ進軍した際、守山で家臣に殺害されます。これが「守山崩れ」です。

その後、守山城は信秀に属する織田信光の基盤になりました。信長にとって信光は、清洲の外から協力できる親族でした。

松平清康

三河の有力者。守山での死により、松平家の尾張進出は大きく揺らぎました。

織田信光

守山を基盤にした信長の叔父。1555年の清洲掌握で信長に協力します。

織田信長

信光という外部の協力者を得て、清洲の信友に対抗しました。

守山城から、清洲掌握へ

1535年
守山崩れ

松平清康が守山で家臣に殺害され、三河の松平家は大きな転機を迎えます。

その後
信光の基盤となる

守山を拠点とする信光は、信秀・信長父子と関係を持ちながら独自の勢力を保ちます。

1555年
清洲で信長に協力

信光の協力により信友が倒れ、信長は清洲を本拠にします。

ここだけ覚える

  • 守山城は、尾張東部の重要な拠点。
  • 1535年の守山崩れは、松平清康の死につながった。
  • 信光が持つ守山の基盤は、信長の清洲掌握を支える一因になった。

守山城から、どこへ進む?

参考にした資料

守山城の城主・遺構の細部には資料ごとの表現差があります。本ページでは、守山崩れと信光の基盤という、尾張統一の理解に必要な点を中心に整理しました。