城ページ / 摂津国・三好長慶の本拠

芥川山城あくたがわやまじょう

芥川山城あくたがわやまじょうは、摂津国(大阪府高槻市)の三好山に築かれた山城です。1516年ごろに管領・細川高国ほそかわ たかくにが築いたとされ、細川晴元ほそかわ はるもとの時代を経て、1553年に三好長慶が入りました。長慶はここを本拠に将軍を追放し、畿内の政治を動かします。「最初の天下人」の政権が生まれた城といえます。1560年に長慶が飯盛城へ移ったあとも三好氏の拠点でしたが、1568年、織田信長おだ のぶながの上洛軍に攻められて落城。信長は和田惟政わだ これまさを城主としましたが、間もなく廃城となりました。2021年に国の史跡に指定されています。

摂津国・高槻市の三好山 三好長慶が1553年に入城 畿内政治の中心 1568年 信長の上洛で落城

要点

  • 細川氏が築いた。1516年ごろ、管領の細川高国が築いたとされる。淀川と西国街道を見下ろす位置で、京都と摂津・丹波を結ぶ要だった。
  • 三好長慶の本拠になった。1553年、細川晴元を追った長慶が入城し、1560年まで本拠とした。この7年間、畿内の政治は芥川山城から動かされた。
  • 将軍不在の「天下」を治めた。長慶は将軍足利義輝を京都から追ったまま畿内を治め、のちに義輝を帰京させたあとも実権を手放さなかった。
  • 飯盛城へ移ったあとも拠点だった。長慶は1560年に河内の飯盛城へ移り、芥川山城には一門の三好長逸みよし ながやすらが置かれた。
  • 信長の上洛で落ちた。1568年、足利義昭あしかが よしあきを奉じた信長が上洛すると、芥川山城は攻められて落城。信長は義昭とともに城に入り、和田惟政を城主とした。
歴史

芥川山城は、どう使われてきたのか

  1. 011516年ごろ:細川高国の築城

    管領・細川高国が三好山に城を築いたとされる。

  2. 021530〜40年代:細川晴元の城

    高国を倒した晴元が用い、三好長慶も晴元の家臣として関わった。

  3. 031553年:三好長慶の入城

    晴元を追った長慶が本拠とし、畿内政治の中心となる。

  4. 041560年:長慶が飯盛城へ

    本拠を河内の飯盛城に移す。芥川山城には一門が置かれる。

  5. 051568年:信長の上洛で落城

    信長軍に攻められて落城。信長と義昭が入城し、和田惟政が城主に。

  6. 061570年代:廃城

    惟政の死後、高槻城が拠点となり、芥川山城は使われなくなった。

  7. 072021年:国史跡に指定

    三好長慶ゆかりの城として国の史跡となった。

どう読むか

芥川山城は、なぜ「天下人の城」と呼ばれるのか

  • 京都に近い山城だった。芥川山城から京都までは一日の距離で、淀川と街道を押さえられた。京都に住まずに京都を動かす、長慶の政権にふさわしい位置だった。
  • 信長の安土に先立つ。京都の外に本拠を置いて畿内を治める形は、信長の岐阜・安土に先立つ。長慶の芥川山城は、その早い例である。
  • 発掘で城下の姿が見えてきた。高槻市の調査で、山上に曲輪と石垣、山麓に城下の跡が確認された。三好政権の実態を示す史跡として国の史跡に指定された。

長慶の政権は三好氏で、本人については三好長慶みよし ながよしで整理しています。

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参考にした資料