何を担った人物か
時系列
読み違えないために
汎秀は三方ヶ原に加わった織田方の武将の一人というだけでなく、信長が送った援軍の大将でした。また、戦死した場所は、敗れて浜松城に入れず今切へ向かう途中の稲葉(今の浜松市東伊場)です。東伊場には「平手監物の墓」があります。
参考にした資料
- 国立公文書館「徳川家康-将軍家蔵書からみるその生涯- 三方原の戦い」(汎秀の名は出てこない。元亀2年の北条氏康の死去を機とした武田・北条の再同盟と、元亀3年10月の武田信玄による遠江侵攻、織田方の加勢を合わせた家康方1万余りと武田方およそ2万5千の兵力差、家康方の大敗、甲府へ戻る途中の信玄の死去〔元亀4年=天正元年4月12日〕を記載)
- 浜松市立中央図書館「浜松市文化遺産デジタルアーカイブ」『浜松市史 二』「平手汎秀の戦死」(信長の援軍の大将平手汎秀が浜松城に入れず今切〔浜名郡舞阪町〕へ向かう途中、稲葉〔浜松市東伊場〕で戦死したこと、東伊場の「平手監物の墓」、佐久間信盛・水野信元の逃走、信玄書状に見える戦死者千人ほどの記述を記載)