戦国の経済政策 / 市場・座・城下町

楽市楽座らくいち らくざとは

楽市楽座とは、城下町や市場へ商人と住民を集めるため、営業上の負担・独占・通行・治安などを調整し、特典を与えた政策をまとめて呼ぶ言葉です。信長の革新的な全国法として有名ですが、信長以前にも楽市の事例があり、実際に対象となったのは岐阜・安土など個別の都市でした。

市場の特典座と営業岐阜・安土全国一律ではない
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商売を完全自由化した一つの法律ではなく、町へ人と物を集める仕組み

楽市

特定の市場・城下町で、税や役、借銭、通行、営業上の妨げを軽くし、外から来た商人も活動しやすくする考え方。

楽座

特定の商人集団である「座」の独占や既得権を制限し、ほかの商人が市場へ入りやすくする政策として説明されます。

城下町づくり

新しい本拠へ商人・職人・住民を移し、市場、道路、宿、港、城を一体で動かす狙いがありました。

領主の利益

負担を減らすだけでなく、商取引を城下へ集中させ、人・物・情報を把握し、長期的な支配基盤をつくれます。

「税金を全部なくして、だれでも全国で自由に商売できた」と覚えると広げすぎです。 どの町に、どんな特典を、なぜ与えたのかを制札・掟書ごとに見る必要があります。

「座」は、ただの悪い独占組織だったのか

は、寺社・公家などの保護を受け、特定の商品や営業に関わる権利を持つ商人・職人の集団です。独占や新規参入の妨げになる面がある一方、商品の供給、品質、課税、寺社への奉仕を安定させる役割もありました。

戦国大名は、古い権利を一律に壊せばよかったわけではありません。既存の商人を利用しながら、新しい城下ではほかの商人にも営業を認め、負担を整理する必要がありました。「楽座」は中世社会を一日で近代市場へ変えた革命ではなく、領主が市場の秩序を組み替える政策として見る方が実態に近づきます。

座の権利を弱めることと、領主の統制が弱くなることは同じではありません。 古い権利を整理した分、だれがどこで商売できるかを城主が決める力は強くなります。

楽市楽座は、何を変えたのか

対象行われたこと町に起きる変化
営業座の独占・不当な妨害を抑え、新しく来た商人の営業を認める。売り手と商品が増え、市場へ参加しやすくなる。
税・役市場税、家屋・土地の負担、普請役、伝馬役などを免除・軽減する。移住や開業の負担が下がる。ただし免除対象と期間は町ごとに異なる。
借金・身柄市場へ来た人の借銭・借米の追及や身柄拘束を制限する条項が見られる。過去の関係に妨げられず、人が出入りできる安全な場をつくる。
通行城下を通る街道を指定し、関所・通行上の負担を整理する。人と荷物を城下へ誘導し、宿泊・売買を増やす。
治安喧嘩、押買、乱暴、放火などを禁じる。商人が財産と身を守られるという領主の保証になる。

すべての制札に同じ条項が並ぶわけではありません。岐阜県が紹介する円徳寺の制札でも、後の池田氏の制札では借銭・借米免除や奴隷解放に関わる条項が消えるなど、時期と発給者による違いがあります。

信長が最初に始めた政策なのか

信長だけの発明ではありません。滋賀県立安土城考古博物館は、最古の事例として六角氏の観音寺城下町を挙げ、今川氏などほかの地域にも楽市が見られると説明しています。

六角氏・石寺

近江の観音寺城下で、信長以前に楽市の事例が見られます。発給主体や成立をめぐる検討はありますが、信長以前の市場政策を示します。

今川氏真・富士大宮

1566年、駿河の富士大宮で市の負担や秩序を調整する楽市令を出しました。信長の岐阜入城より前です。

織田信長

岐阜・安土という本拠づくり、街道・港・城・市場の配置と組み合わせ、広く知られる政策にしました。

信長の重要性は「日本で最初」だけではなく、拡大する政権の本拠都市づくりへ楽市楽座を組み込んだ点にあります。

岐阜と安土では、目的がどう違ったのか

1567年
岐阜・加納の楽市場を保護する

信長は稲葉山城を攻略した直後、加納楽市場へ制札を出しました。戦いの後に人を戻し、既存の市場を再生し、新しい本拠を安定させる意味がありました。

1568年
制札を重ね、城下の権利を保証する

翌年にも楽市楽座の制札を出し、岐阜城下の商業と往来の条件を示します。紙の政策ではなく、町に掲げて知らせる掟でした。

1576年以後
安土に新しい政権都市をつくる

安土城の建設に合わせ、商人・職人・住民を山下町へ集めます。湖上交通と街道を結び、京都・東国・北陸の人と物が通る町を目指しました。

安土の掟書
街道を城下へ通し、移住を促す

商人に安土を通る下街道の利用を求め、税・役の免除、治安維持などを示します。市場政策と交通政策が一つになっています。

楽市楽座で、だれが得をしたのか

新しく来る商人

参入・移住の負担が下がり、営業と通行の安全を領主から保証される。

城下の住民

商品・仕事・人の往来が増える一方、指定された道路や町の秩序へ従う必要がある。

既存の座・寺社

独占や徴収権を制限される場合がある。ただし権利がすべて一斉に消えたわけではない。

信長と城主

目先の税収を減らしても、城下へ流通を集中させ、軍需・情報・宿泊・将来の収入を確保できる。

「商人を自由にした善政」だけでなく、領主が町を選び、人と物の流れを自分の城下へ引き寄せる政策でもありました。自由化と支配強化が同時に進むところが面白さです。

楽市楽座について、よくある疑問

信長が日本で初めて行ったのか

いいえ。信長以前に六角氏・今川氏などの楽市が確認されています。信長は岐阜・安土の都市政策として展開しました。

税金をすべてゼロにしたのか

全国・永久・全税目の廃止ではありません。特定の町へ、一定の税や役の免除を特典として与えました。

座をすべて廃止したのか

地域や商品を問わず全座を消滅させたわけではありません。対象となる市場で独占や妨害を制限し、営業秩序を組み替えました。

現代の自由市場と同じなのか

違います。領主が特定の町へ特権を与え、道路・治安・営業を管理する制度です。国家全体で規制を撤廃する現代政策とは前提が異なります。

楽市楽座だけで岐阜・安土は栄えたのか

政策だけでは足りません。城、街道、長良川・琵琶湖の水運、宿、寺社、商人の移住、政権の需要が重なって町が動きました。

楽市楽座から、どこへ進む?

参考にした資料

「楽市」「楽座」の範囲や制札の条項解釈には議論があります。本文では全国的な自由化という一文へ縮めず、岐阜・安土の町ごとの条件、信長以前の事例、領主による流通統制を合わせて整理しました。