要点
- 1571年、比叡山焼き討ちの直後に築かれた。信長は延暦寺を監視し、琵琶湖の水運を押さえるため、光秀に坂本への築城を命じた。
- 光秀が初めて持った城。光秀は信長の家臣として初めて城持ちとなり、近江志賀郡を与えられた。
- 琵琶湖に面した水城。石垣が湖に接し、船で直接出入りできた。安土城に次ぐ壮麗な城とフロイスは記した。
- 本能寺の変の後に焼け落ちた。山崎の戦いの敗北後、明智秀満が光秀の妻子らを殺して城に火を放ち、一族とともに死んだ。
- 「幻の城」から国史跡へ。廃城後は遺構がほとんど残らなかったが、2023年度の発掘で石垣と堀が見つかり、2025年に国史跡となった。
坂本城は、どう使われてきたのか
- 011571年9月、比叡山焼き討ち
信長は延暦寺を焼き討ちにし、近江志賀郡を光秀に与えた。光秀は延暦寺の門前町だった坂本に城を築き始めた。
- 021572年ごろ、城の完成
坂本城は琵琶湖に面して築かれ、湖上から直接入れる構造だった。光秀はここを本拠に、信長の畿内支配を支えた。
- 031575年以降、丹波攻略の拠点
光秀は信長から丹波攻略を命じられ、坂本城を拠点に丹波へ出陣した。1579年に丹波を平定し、亀山城も本拠とした。
- 041582年6月2日、本能寺の変
光秀は丹波亀山城から出陣して本能寺を襲った。変の後、光秀は安土城を接収し、坂本城にも戻っている。
- 051582年6月13日〜14日、落城
山崎の戦いで敗れた光秀は坂本城を目指したが、途中で討たれた。城を守っていた明智秀満は光秀の妻子らを殺し、城に火を放って自害した。
- 06再建と廃城
秀吉の命で丹羽長秀が坂本城を再建し、城主を置いたが、1586年に大津城が築かれると廃城となり、資材は大津城へ移された。
- 07発掘と史跡指定
1979年の発掘で屋敷跡と大量の瓦が出土。2023年度の発掘で三の丸とみられる石垣と堀が見つかり、2025年に国史跡に指定された。
坂本城を読むときの三つの視点
- 信長の「琵琶湖の城」の一つ。信長は安土城・坂本城・長浜城・大溝城を琵琶湖の周りに配し、水運で結んだ。坂本は京都に最も近い拠点だった。
- 光秀の出世を示す城。信長の家臣として最初に城持ちになり、安土城に次ぐ城を許された光秀の地位の高さがここに表れる。
- 落城の記憶と発掘の更新。遺構がほぼ失われた城だが、発掘で姿が更新されつつある。「幻の城」の像は今後変わる可能性がある。
坂本城は明智光秀の居城として知られますが、信長の琵琶湖支配の一部として見ると、安土・長浜とあわせて信長の近江政策が立体的に見えてきます。