用語ページ / 武将の「○○守」を読むための言葉

三河守みかわのかみとは

三河守は、本来は朝廷が任命する三河国の国司こくしの長官です。戦国時代には国を実際に治める仕事を伴わない、名誉の肩書きになっていました。徳川家康とくがわ いえやすは1566年、三河をほぼ統一したのに合わせて朝廷から三河守に任じられ、同時に名字を徳川に改めています。「三河の支配者」であることを朝廷の権威で裏づけた出来事でした。

国司の長官=「守」 戦国では名誉の肩書き 1566年 家康が任官

要点

  • 「守」は国司の長官。律令制で各国に置かれた役人の最上位。三河守なら三河国の長官にあたる。
  • 戦国時代には実務のない肩書き。国司の制度が形だけになったあとも、武士は「○○守」を家の格を示す名乗りとして使い続けた。これを受領名ずりょうめいという。
  • 正式な任官と自称がある。朝廷から正式に任じられる場合と、主君から与えられたり自ら名乗ったりする場合があり、戦国の「○○守」の多くは後者。
  • 家康の三河守は正式な任官。1566年、朝廷から従五位下・三河守に任じられた。三河の支配を公に認められた形で、徳川への改姓と一体の出来事だった。
言葉の整理

「○○守」には二種類ある

正式な任官朝廷から位階と官職を授けられる。家康の三河守、信長の上総介(のち弾正忠)など。朝廷との交渉や献金が必要で、家の格を公に示す意味があった。
自称・私称朝廷の許可なく名乗る、または主君が家臣に与える。戦国武将の「○○守」の大半はこれで、名乗った国と実際の領地は無関係なことが多い。

たとえば織田信秀おだ のぶひでは「備後守」を名乗りましたが、備後国(広島県東部)とは何の関係もありません。家の格を示す飾りとしての名乗りです。官位の仕組み全体は官位とはで整理しています。

家康の場合

なぜ家康は三河守を求めたのか

  • 三河支配の正当性を得るため。今川家から自立して三河を統一した家康にとって、朝廷の任官は「三河の支配者」としての公認だった。
  • 家の格を上げるため。松平家は三河の国衆から出た家で、家格は高くなかった。正式な官位は、他の大名と並ぶための証になった。
  • 改姓と一体だった。任官にあたって家康は系譜を整え、名字を徳川に改めた。藤原氏の一員として任官したと考えられており、源氏を名乗るのはのちのことである。

この改姓と系譜の意味は新田源氏とはで、徳川家全体の流れは徳川家で読めます。

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参考にした資料