滝山城を最初にどう覚える?
大石氏から氏照へ
滝山城は大石氏の居城だった後、氏照が関係を受け継いで拡張したとされます。
武蔵西部の政治拠点
氏照は滝山城を中心に、由井領などの地域を治めました。小田原から離れた北条の重要な支城です。
平山城の技術
丘陵の起伏を使い、空堀、土塁、馬出、曲輪を重ねます。山上だけに閉じない城です。
八王子城への前段
のちに氏照は八王子城へ移ります。二つの城を比べると、戦国末期の城の変化が見えます。
まずは一本の流れで置く
- 大石氏が加住北丘陵に滝山城を築く
- 北条氏照が大石氏との関係を受け継ぎ、城を拡張する
- 滝山城を由井領支配の拠点として使う
- 1569年、武田信玄の軍が武蔵へ進み、滝山城が攻撃を受ける
- 氏照は城を守り、滝山城は北条の武蔵西部拠点として残る
- 1580年代、氏照が深沢山に八王子城を築き始める
- 氏照が八王子城へ本拠を移す
- 滝山城は氏照の前の居城として、土の城の姿を残す
ざっくり年表
平山城って、どんな城?
平山城は、平地に近い丘陵や低い山を利用して築く城です。滝山城は、加住北丘陵の起伏と多摩川・秋川に近い地形を使い、上から見下ろすだけでなく、周囲の道や地域を押さえることができます。
滝山城の強さは、天守のような目立つ建物ではなく、曲輪を何段にも置き、空堀と土塁で攻め手を遠回りさせることにあります。馬出は城門の外側に置く小さな防御空間で、出入りを守るための仕掛けです。城を見るときは「一番高い場所」だけでなく、敵がどこから入り、どこで止まるかを見ると面白くなります。
空堀
水を入れない深い堀で、敵の移動を止めます。
土塁
土を盛った壁です。上に立つ守備側が有利になります。
馬出
城門の前に置く防御施設。門へ直接攻め込ませないための工夫です。
曲輪
城内を区切る平らな場所です。段階的に配置して、城の奥へ簡単に入れないようにします。
1569年の滝山城攻めは、どう見る?
1569年、武田信玄は小田原北条氏と対立し、武蔵方面へ軍を進めます。滝山城も攻撃を受けたと伝わり、氏照が防戦したことは、氏照を代表するエピソードの一つです。
ただし、氏照が城門で指揮し、武田勝頼と何度も攻防したという詳しい場面は『甲陽軍鑑』など軍記物に伝わる話です。実際にどこまで戦闘があったかは、史料の性格を考えて慎重に見る必要があります。ここで大事なのは、滝山城が武田と北条の緊張が高い地域にあり、氏照が武蔵西部の防衛を担っていた、という大きな事実です。
八王子城へ移った意味
氏照は、滝山城で得た支配の基盤を捨てたのではありません。滝山城の家臣団、城下、道を使いながら、より防御に適した八王子城へ重心を移していきます。
八王子城は、深沢山の地形を使う山上の要害、城主の御主殿、麓の根小屋を持つ大規模な城です。滝山城の土塁と空堀の技術を知ってから八王子城を見ると、氏照が「山へこもった」のではなく、地域支配の中心をより大きく、より奥深い形へ作り直したことが分かります。
ここだけ覚える
- 滝山城は大石氏の後、北条氏照が拡張して武蔵西部を治めた平山城。
- 空堀・土塁・馬出・曲輪を組み合わせた、関東屈指の中世城郭。
- 1569年、武田信玄の軍が攻めたと伝わり、氏照が防戦した。
- 戦の詳しい場面には軍記由来の話もあるため、史料の性格に注意する。
- 氏照は1580年代に八王子城へ本拠を移し、より大きな城郭を構想した。
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5問クイズ
Q1. 滝山城を拡張した北条氏の人物は?
A. 北条氏照です。
Q2. 滝山城はどのような城?
A. 丘陵を利用した平山城です。
Q3. 城門の前を守る防御施設は?
A. 馬出です。
Q4. 1569年に滝山城を攻めたと伝わる人物は?
A. 武田信玄です。
Q5. 氏照が滝山城の後に本拠を移した城は?
A. 八王子城です。
