人物ページ / 1173〜1262・鎌倉時代

親鸞しんらん

親鸞しんらんは、鎌倉時代に浄土真宗の教えを開いた僧です。戦国時代に大名と渡り合った本願寺教団と一向一揆は、その教えと血筋の上に立っていました。

浄土真宗の宗祖 法然の弟子 流罪と妻帯の生涯 血筋が本願寺教団へ

要点

  • 教えの核心は「信じる心ひとつで救われる」だった。親鸞は師の法然から、ひたすら念仏(南無阿弥陀仏)を唱えることだけで救われるとする専修念仏の教えを受け継いだ。阿弥陀仏はすべての人を救うと誓った仏であり、厳しい修行も高額の寄進も身分もいらない。自力で善を積めない凡夫こそ救いの対象だとする悪人正機の考え方まで徹底したことで、教えは武士や庶民に開かれたものになった。
  • 弾圧と流罪が、かえって教えを地方へ運んだ。1207年、念仏の教えが弾圧されて法然は土佐へ、親鸞は越後(新潟県上越市)へ流された。親鸞は流罪の地で恵信尼と結婚して6人の子をもうけ、赦免後は関東へ移って約20年布教した。京都の外に教えの根が張られたのは、追放の結果だった。
  • 「非僧非俗」と妻帯が、世襲教団の出発点になった。親鸞は自らを僧でも俗人でもないと称し、公然と妻帯した最初期の僧になった。死後、娘の覚信尼が京都東山の大谷に廟堂を建て、これがのちの本願寺の発祥となる。教えが血筋で受け継がれる仕組みはここから始まり、蓮如も顕如も親鸞の子孫にあたる。戦国の本願寺の力は「教えと血脈」の二本柱でできていた。
年表

比叡山の修行から、本願寺の発祥まで

  1. 011173年、京都に生まれる

    下級貴族の家に生まれ、9歳で出家して比叡山に入った。約20年修行を積んだが、山の修行では救いの確信を得られず、29歳で山を下りる。

  2. 02法然の門に入る

    京都で専修念仏を説いていた法然の弟子となった。念仏ひとつでよいとする教えは、旧仏教側から激しい反発を受けながら、都の民衆に広がっていた。

  3. 031207年、越後へ流罪

    念仏停止の弾圧で法然は土佐へ、親鸞は越後へ流された。上陸の地と伝わる居多ヶ浜が上越市に残る。この地で豪族の娘・恵信尼と結婚し、家庭を持つ僧として生きる道を選んだ。

  4. 04関東で約20年の布教

    赦免後、家族とともに関東へ移り、常陸(茨城県)の稲田を拠点に布教した。主著『教行信証』の執筆もこの時期に始まる。関東の門徒たちが、のちの真宗の基盤になった。

  5. 05晩年の京都、90歳の生涯

    60歳を過ぎて京都へ戻り、著述と門徒への手紙で教えを伝え続けた。1262年、90歳で死去。恵信尼は越後へ戻り、孫たちと晩年を過ごした。

  6. 06死後——大谷廟堂から本願寺へ

    娘の覚信尼が東山大谷に親鸞の廟堂を建て、子孫が守り続けた。これが本願寺の発祥になる(京都市の石碑が伝える)。教団は8代蓮如の時代に爆発的に拡大し、300年後には大名と戦う戦国最大の宗教勢力になっていく。

検証

「悪人正機」の誤解と、実像を伝える手紙

語られ方 「悪人こそ救われる」の意味

「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の言葉は、悪いことをしても構わないという意味に誤解されやすい。ここでの悪人は、自力では善を積みきれない煩悩だらけの普通の人間のことで、「自分の力を頼れない者こそ、阿弥陀仏の救いの本命だ」という教えになる。戦国の門徒たちの支えになったのも、この「そのままの自分が救われる」という確信だった。

史料 妻の手紙が実像を裏づけた

親鸞の生涯は伝説に包まれていたが、1921年、京都の西本願寺で妻・恵信尼の手紙10通が発見され、流罪や関東時代を含む生涯の実像が裏づけられた(上越市の資料による)。流罪の地・越後には居多ヶ浜や恵信尼ゆかりの史跡が、関東布教は栃木県などの資料が伝えている。

どう読むか

親鸞から、戦国の宗教勢力を読む

  • 戦国の一向一揆は、親鸞の意図の外にあった。親鸞は教団組織も作らず、戦いを説いたこともない。身分を問わない教えの平等性が、300年かけて講という組織に乗り、結果として大名と戦う動員力に化けた。開祖の教えと教団の歴史は分けて読む必要がある。
  • 妻帯と世襲が、本願寺の強さの秘密だった。延暦寺や興福寺のトップが貴族の子弟で入れ替わるのに対し、本願寺は親鸞の血筋が宗主を継ぎ続けた。門徒にとって宗主は「親鸞聖人の子孫」そのものであり、この血の権威は他のどの宗派にも真似できなかった。
  • 弾圧が教えを強くする、という型がここから始まる。流罪が教えを地方へ運び、迫害が門徒の結束を固めた。この型は蓮如の吉崎、薩摩のかくれ念仏まで繰り返される。権力が宗教を力で抑えることの難しさを、親鸞の生涯は最初に示していた。

教えを組織に変えた子孫は蓮如れんにょ、教団と一揆の全体像は一向宗で整理しています。

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参考にした資料