人物ページ / 東駿河の国衆

葛山氏元

葛山氏元は、駿河東部に基盤を持った葛山氏の当主です。今川・北条・武田という三つの大勢力の境で、地域の領主が誰に従い、どう領地を守ろうとしたのか。その動きを具体的に見るための人物です。

戦国時代 葛山氏 東駿河 国衆

まず押さえたいこと

東駿河の領主

葛山氏は、現在の裾野市周辺を本拠とし、沼津を含む駿河東部に勢力を持ちました。

独立大名ではない

完全に独立した大名というより、地域の所領と家臣を持ちながら有力大名に従う国衆として見ると分かりやすい人物です。

三勢力の境にいた

今川氏・北条氏・武田氏の力関係が変わるたび、東駿河の国衆も立場を選び直す必要がありました。

三つの大名家との関係

今川氏駿河を支配した戦国大名。葛山氏は今川氏の勢力下にありながら、東部の地域支配を担いました。
北条氏伊豆・相模から駿河東部へ影響を及ぼした勢力。国境に近い葛山氏にとって無視できない相手でした。
武田氏甲斐から駿河へ進出した勢力。今川氏の衰退後、葛山氏元は武田氏の支配に組み込まれていきます。

転機は、同盟が崩れたあと

甲相駿三国同盟が機能していた間、今川・北条・武田のあいだには一定の均衡がありました。しかし、1560年の桶狭間で今川義元が討たれ、さらに1568年に武田信玄が駿河へ侵攻すると、その均衡は崩れます。

氏元の動きが重要なのは、主家が弱ったときに国衆が単純に「裏切った」のではなく、所領と家を残すため新しい支配者との関係を結び直したことが見えるからです。1570年には氏元の朱印状が残り、地域で命令を出す領主として活動していたことが確認できます。

葛山氏元から分かること

  • 戦国時代の地域支配は、大名だけでなく国衆の所領と人脈にも支えられていた。
  • 国境に近い領主ほど、複数の大名家の力関係に強く左右された。
  • 同盟の崩壊は、大名同士の外交だけでなく地域領主の立場まで変えた。
  • 氏元の最期をめぐる細部には不明点があり、確実な文書と後世の叙述を分けて読む必要がある。

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参考にした資料