城ページ / 加賀国・前田家の居城

金沢城かなざわじょう

金沢城かなざわじょうは、加賀国(金沢市)の小立野台地の先端に築かれた城で、加賀藩前田家の居城です。出発点は1546年に本願寺が築いた金沢御堂かなざわみどうで、加賀一向一揆の拠点でした。1580年、織田信長おだ のぶながの家臣・柴田勝家しばた かついえがこれを落とし、甥の佐久間盛政が最初の城主となります。1583年の賤ヶ岳の戦いののち前田利家が入城し、天守や高石垣を備えた城へ整えました。以後、前田家が明治まで城主を務め、「加賀百万石」の中心となります。国の史跡です。

加賀国・金沢市 1546年 金沢御堂から始まる 1580年 佐久間盛政の城 1583年 前田利家が入城

要点

  • 始まりは一向一揆の御堂だった。1546年、本願寺が金沢に御堂を築いた。加賀を治めていた一向一揆の拠点で、寺であると同時に城でもあった。
  • 柴田勝家が落とした。1580年、信長の北陸方面軍を率いる柴田勝家が金沢御堂を攻略。勝家の甥・佐久間盛政が城主となり、城郭としての整備を始めた。
  • 前田利家が入った。1583年、賤ヶ岳の戦いで盛政が敗れると、秀吉に従った前田利家が加賀二郡を得て金沢城に入った。以後、前田家の居城となる。
  • 天守は早くに失われた。利家は天守を建てたが1602年に落雷で焼失し、以後は再建されなかった。代わりに櫓と高石垣が城の顔となった。
  • 前田家百万石の中心として明治まで。加賀・越中・能登120万石の居城として江戸時代を通じて続き、明治以降は陸軍の拠点となった。現在は金沢城公園として整備されている。
歴史

金沢城は、どう使われてきたのか

  1. 011546年:金沢御堂の創建

    本願寺が加賀一向一揆の拠点として御堂を築く。

  2. 021580年:柴田勝家の攻略

    織田軍が御堂を落とし、佐久間盛政が城主となる。

  3. 031583年:前田利家の入城

    賤ヶ岳の戦い後、利家が能登七尾から移る。

  4. 041592年ごろ:大規模な整備

    利家が天守・高石垣を築き、近世城郭として整える。

  5. 051602年:天守焼失

    落雷で天守が焼失。以後は再建されなかった。

  6. 061619〜1871年:加賀藩の居城

    前田家が14代にわたって城主を務める。

  7. 072008年:国史跡に指定

    金沢城跡として国の史跡に指定され、復元整備が進む。

どう読むか

金沢城は、北陸の戦国をどう映しているのか

  • 一向一揆から大名へ。加賀は約100年にわたって一向一揆が治めた国だった。金沢御堂が城になった過程は、本願寺の支配が織田・豊臣の大名支配に置き換わった流れそのものである。
  • 賤ヶ岳の判断が城の主を決めた。柴田勝家方だった前田利家が賤ヶ岳で秀吉に転じたことで、金沢は盛政の城から利家の城になった。利家の判断は賤ヶ岳の戦いで読める。
  • 天守のない百万石の城。天守が早くに失われ、再建されなかったのは、幕府への遠慮があったともいわれる。前田家が軍事より文化に力を注いだ姿勢と重なる。

城の主となった前田家は前田家で、城の前身は金沢御堂で整理しています。

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参考にした資料