人物ページ / 1557〜1615・出羽から白石

片倉小十郎(景綱)かたくらこじゅうろう(かげつな)

片倉小十郎かたくらこじゅうろう景綱かげつな)は、伊達政宗の側近くに仕えた重臣です。少年時代の政宗の傅役もりやく(教育係)から軍師格の腹心となり、白石城主として仙台藩の南の守りを担いました。

政宗の傅役から腹心へ 「小十郎」は代々継がれた名 白石城主・260年続く家の初代 「鬼小十郎」重長の父

要点

  • 神職の家から、政宗の傅役に見出された。景綱は神職の家の出とされ、政宗の父・輝宗に取り立てられて、少年時代の政宗の傅役になった(仙台市博物館の解説による)。主君より10歳年上の側近として、幼少期からの信頼をそのまま政治と軍事の片腕に育てた、戦国でも典型的な「傅役から腹心へ」の関係になる。
  • 政宗の拡大期を、知恵の側で支えた。人取橋や摺上原など政宗の主要な合戦に従い、外交や交渉の実務を担った。秀吉への小田原参陣という家の命運を分けた決断でも、参陣を強く進めたと伝わる。秀吉から直臣の大名に誘われたが断り、伊達の家臣であり続けたという逸話も残る。
  • 白石城主となり、「小十郎」の家を残した。関ヶ原の年の白石城奪回を経て、1602年、景綱は白石城主となった。以後「小十郎」は片倉家の当主が代々受け継ぐ名になり、白石城は一国一城が原則の江戸時代に例外として残されて、明治まで260年余り片倉氏が守り続けた(白石市の解説による)。子の重長は大坂の陣の奮戦で「鬼小十郎」と呼ばれ、敵将・真田信繁さなだ のぶしげの娘を戦後に片倉家へ迎えたと伝わる。
年表

景綱の生涯と、片倉家のその後

  1. 011557年、出羽に生まれる

    米沢の神職の家の出とされる。姉の喜多は政宗の乳母的な養育係を務めており、姉弟そろって幼い政宗を育てる側にいた。

  2. 02輝宗に見出され、傅役に

    政宗の父・輝宗に取り立てられ、少年政宗の傅役となった。右目を失った政宗の劣等感を支えた逸話が数多く語られるほど、二人の結びつきは深かったと伝わる。

  3. 031585〜89年、人取橋から摺上原へ

    家督を継いだ政宗の南奥羽での戦い——人取橋の戦い、摺上原の戦い——に従軍し、軍議と交渉の中心にいた。伊達家が南奥羽の覇者になる数年間を、実務で支えた。

  4. 041590年、小田原参陣の決断

    秀吉の小田原征伐に参陣するか否かで伊達家が割れたとき、景綱は参陣を進言したと伝わる。遅参しながらも家を保った政宗の決断の裏に、景綱の判断があったとされる。

  5. 051602年、白石城主に

    関ヶ原の戦役で伊達家が奪回した白石城を任され、仙台藩の南の玄関を預かった。以後の片倉家は仙台藩の重臣筆頭格として続く。

  6. 061615年、死去——「小十郎」は続く

    大坂の陣の年に59歳で没した。家督と「小十郎」の名は子の重長が継ぎ、重長は大坂夏の陣で真田隊と戦って「鬼小十郎」の名を得る。片倉家は幕末まで白石城を守り、名は明治まで受け継がれた。

検証

「政宗の軍師」はどこまで確かめられるか

語られ方 智将・軍師のイメージ

景綱は「政宗の軍師」「知恵袋」として、数々の進言や機転の逸話とともに語られる。ドラマや小説でも政宗と並ぶ人気の人物だが、個々の逸話の多くは伊達家の後世の編纂記録に拠っており、その場の台詞まで史実として確かめることは難しい。

資料 確かめられること

輝宗に取り立てられて政宗の傅役を務めたことは仙台市博物館の解説が伝え、1602年からの白石城主就任と、片倉氏が明治まで白石を治めたことは白石市の資料で確かめられる。逸話を差し引いても、傅役出身の家臣が一城を任され、その家が藩の柱として260年続いた事実そのものが、信頼の厚さの何よりの証拠になる。

どう読むか

小十郎から、何が見えるのか

  • 「傅役から腹心へ」は、戦国の人事の型だった。幼少期から一緒に育った家臣は、裏切りの時代にあって最も信頼できる存在になる。家康にとっての鳥居元忠と同じ型で、政宗にとっての小十郎がそれだった。伏見城で死んだ元忠と、白石城を与えられた小十郎——傅役の忠義は、どちらの家でも物語の核になっている。
  • 大名にならない、という出世もあった。秀吉の誘いを断って伊達家臣にとどまったと伝わる景綱の家は、結果として大名家より安定して幕末まで続いた。主家の中で「代々の小十郎」というブランドを築く道は、独立して一代で潰れる危険と比べて、賢い生存戦略だったともいえる。
  • 敵将の娘を迎えた縁が、家の誇りになった。子の重長が大坂の陣ののち、敵として戦った真田信繁の娘・阿梅を片倉家に迎えたと伝わる話は、真田と片倉、二つの家の記憶として語り継がれた。戦国の敵味方が、戦が終われば縁者にもなる——その距離感を伝える好例になっている。

主君の生涯は伊達政宗だて まさむね、景綱の城をめぐる戦いは白石城の戦いで整理しています。

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参考にした資料