人物ページ / 美濃三人衆、龍興期の家臣団を読む入口

安藤守就

安藤守就は、稲葉一鉄・氏家卜全とともに美濃三人衆と呼ばれる有力者です。斎藤龍興の時代、竹中半兵衛とともに稲葉山城を一時占拠したことでも知られます。守就を追うと、龍興の美濃が外からの信長だけでなく、内側の家臣団との関係でも揺れていたことが見えてきます。

美濃三人衆北方を基盤1564年・稲葉山城

守就は、龍興の時代の「内側の揺れ」を示す人物

守就は斎藤氏に仕えた有力者で、美濃三人衆の一人です。美濃の国は、稲葉山城の当主だけで成り立っていたのではありません。地域に基盤を持つ家臣が、兵・城・人脈を通じて支えていました。

美濃三人衆

稲葉・氏家と並ぶ有力家臣。三人を通して、家臣団の重みが見えます。

龍興期の変化

義龍の急死後、若い龍興と有力家臣の関係は一枚岩ではありませんでした。

信長への協力

1567年、三人衆が信長の美濃攻略へ協力し、龍興の支配を内側から弱めます。

1564年、稲葉山城を一時占拠する

岐阜市の年表は、1564年に竹中重治(半兵衛)と安藤守就が稲葉山城を占拠したと記します。城を一時奪いながら、これだけで龍興の支配が終わったわけではありません。しかし当主と有力家臣の緊張が表れた出来事として重要です。

この数年後、守就を含む三人衆が信長の美濃攻略へ協力します。1564年の占拠と1567年の攻略を続けて見ると、城を守る力が軍勢の数だけで決まらないことが分かります。

1564年竹中半兵衛・安藤守就が稲葉山城を一時占拠。
1567年美濃三人衆が信長側へ協力し、稲葉山城攻略の条件が変わります。
読み方守就を一人の「裏切り者」と決めるより、領国を支える家臣団と当主の関係の変化として読むことが大切です。

安藤守就から、どこへ進む?

参考にした資料