1559年ごろ / 城を奪わず、周囲を抑える

信長の五砦

丹下・善照寺・中嶋・丸根・鷲津は、信長が鳴海城・大高城の今川方に対抗するために置いたとされる砦です。
五つを一つの網として見ると、信長が大軍と正面からぶつかる前に、城の連絡と補給を押さえようとしていたことが見えてきます。

鳴海城大高城丸根・鷲津桶狭間前夜

五砦は、二つの城に対する包囲網だった

鳴海側の三砦

丹下・善照寺・中嶋は、鳴海城の周辺から今川方の動きを牽制する役割を持ちます。

大高側の二砦

丸根・鷲津は大高城に近く、補給や連絡を妨げる位置に置かれました。

信長の狙い

今川方の城をすぐ落とすのでなく、城どうしを孤立させ、尾張で動きにくくすることでした。

桶狭間当日、五砦はどうなったか

1560年、今川軍は大高城への補給を進めながら、丸根・鷲津を攻めます。前線では今川方が優位に立つ一方、信長は義元の本隊を狙う判断をしました。

前線の戦い丸根・鷲津では今川軍と信長方が交戦し、信長方の砦が落ちます。
本隊への行動信長は砦の救援より、桶狭間にいる義元本隊を狙いました。
桶狭間の後義元の戦死で今川方の前線は揺らぎ、鳴海・大高をめぐる状況も変わります。

五砦は、信長の戦い方を理解するための前提です。 桶狭間は偶然の一撃だけではなく、前線に城と砦が並び、補給をめぐる緊張が続く中で起きました。

ここだけ覚える

  • 五砦は、鳴海城と大高城の今川方を牽制するための信長方の前線網。
  • 鳴海側に三砦、大高側に丸根・鷲津の二砦が置かれた。
  • 桶狭間当日は前線で丸根・鷲津が攻められ、信長は義元本隊へ向かった。

信長の五砦から、どこへ進む?

参考にした資料

五砦の位置・築城年・各砦の細部には資料ごとの表現差があります。本ページでは、鳴海・大高を牽制する前線網として整理しました。