尾張の城 / 今川方の前線 / 桶狭間へつながる兵糧の城

大高城

尾張東南部にあった城で、桶狭間前夜には今川方の重要な前線でした。
1560年、今川軍は大高城への兵糧補給を進め、信長は周囲の砦でその動きを抑えようとします。大高城から見ると、桶狭間は義元本隊への急襲だけでなく、城と兵糧をめぐる戦いだったことが分かります。

今川方兵糧補給鳴海城1560年

大高城は、今川軍の前線を支える城だった

大高城は鳴海城とともに、今川方が尾張で保持した重要な城でした。信長は城そのものをすぐ奪うより、周辺に砦を築いて連絡や補給を難しくする方法をとります。

大高城

今川方の城。1560年に兵糧が届けられ、尾張侵攻の前線を支えました。

鳴海城

大高と並ぶ今川方の拠点。信長は二つの城の連携を警戒します。

丸根・鷲津砦

大高城に近い信長方の砦。今川軍は桶狭間当日にここを攻めます。

大高の補給から、桶狭間へ

1559年ごろ
信長が周囲に砦を築く

鳴海・大高の今川方の城を牽制するため、信長は五つの砦を置きます。

1560年5月
今川軍が大高城へ兵糧を入れる

今川方は大高城への補給を進め、丸根・鷲津の砦を攻めて前線を動かします。

同日
信長が義元本隊を狙う

信長は砦を一つずつ奪い返すより、桶狭間にいる義元の本隊へ向かいました。

大高城は、桶狭間の「背景」ではなく戦いの理由の一部です。 補給を通す今川方と、それを砦で抑える信長方の対立が、桶狭間当日の軍の動きを形づくりました。

ここだけ覚える

  • 大高城は、桶狭間前夜に今川方が尾張で持った重要な前線の城。
  • 兵糧補給と丸根・鷲津への攻撃が、1560年の軍の動きにつながる。
  • 信長は城を直接奪うより、砦で連絡と補給を抑えようとした。

大高城から、どこへ進む?

参考にした資料

大高城への補給や各砦の細部には資料ごとの表現差があります。本ページでは、前線・補給・桶狭間へのつながりを中心に整理しました。