城・場所ページ / 信秀の台頭と、若い信長の出発点になる城

那古野城

那古野城は、現在の名古屋城周辺にあったとされる城です。織田信秀が今川氏豊の城を奪い、尾張東部へ進む足場としました。信長もこの城を居城とした時期があり、後に清洲へ移ります。那古野城は、信秀から信長へ受け継がれる尾張南部の基盤を読む場所です。

現在の名古屋城周辺織田信秀若い信長の居城清洲へ移る前の拠点

那古野城を最初にどう覚える?

信秀が足場にする城

1538年、信秀が那古野城を奪い、尾張東部への足がかりとします。

信長の最初の居城

信長は若い時期に那古野城を拠点とし、家督を継ぐ前から尾張で動きます。

今川との境目を意識する

尾張東部は三河・今川の方向を意識する地域です。那古野は東の脅威に向き合う前線の一つです。

近世の名古屋城とは別

那古野城は、後に家康が築く名古屋城の前身にあたる場所として考えられますが、同じ城をそのまま指すわけではありません。

信秀から信長へ、城の役割が変わる

信秀那古野城を得て、尾張南部で勢力を伸ばす足場にします。
信長若い時期の居城として、家督相続と尾張内部の対立に向き合います。
清洲へ1555年、信長は清洲へ移り、尾張の政治的な中心を押さえます。
名古屋城へ近世には家康が名古屋城を築きます。那古野は戦国から近世へ場所の意味が変わる地点です。

那古野城が見えると、何が分かる?

信長は清洲から突然現れた人物ではありません。父の信秀が那古野を足場にし、信長がそこから尾張の主導権争いへ進みます。那古野→清洲→桶狭間の順にたどると、信長の初期の移動と立場の変化が分かります。

那古野城から、どこへ進む?

参考にした資料