西郷局を最初に押さえる
- 家康の側室で、秀忠と松平忠吉の母とされる。
- 秀忠は家康の後継となり、1605年に二代将軍となった。
- 西郷局の死は秀忠の将軍就任より前で、母として江戸幕府を見ることはできなかった。
- 家康の継承が、正室だけではない家族関係のなかで進んだことを示す。
秀忠の母という位置
家康には多くの子がいました。戦国大名の後継者は生まれた順だけで決まらず、母の家、本人の年齢、家臣団の支持、主君の判断が重なります。西郷局の子・秀忠が後継となったことは、徳川家が一地方の大名から全国政権へ変わる過程と結び付きます。
秀忠は関ヶ原の翌年以後、家康の後を継ぐ存在として育てられ、1605年に将軍となります。家康が大御所として政治を続けたため、秀忠の将軍就任は単なる世代交代ではなく、徳川家が将軍職を世襲する仕組みを始める出来事でした。西郷局のページでは、この継承の背景にある家族の一人として位置付けます。
西郷局には後世に多くの伝承がありますが、個々の逸話には史料上の確認が難しいものもあります。確実に読めるのは、家康と秀忠を結ぶ母であり、将軍家の出発に関わる人物だったことです。
年表で追う
1580年代
秀忠を出産
家康の後継者となる子を生む。
1590年
関東入封
家康の家族と家臣団が江戸・関東へ移る。
1590年代
死去
秀忠の将軍就任を前に生涯を終える。
1605年
秀忠が二代将軍に
徳川将軍家の世襲が始まる。