1532〜1594年 / 三河譜代・二俣城・小田原城主

大久保忠世

大久保忠世は三河以来の譜代家臣で、武田氏との戦いを経て二俣城を守り、1590年には小田原城主となりました。合戦の古参が、旧北条領を治める大名へ変わる流れを読みます。

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大久保忠世は何を担ったか

  • 松平・徳川家に仕えた大久保一族の古参。
  • 三方ヶ原、長篠など武田氏との戦いに加わった。
  • 遠江二俣城を預かり、東海道の前線を守った。
  • 1590年、関東入封後に小田原四万五千石を与えられた。

生涯を通して見る

忠世は家康の三河統一以前から仕えた古参で、弟忠佐らとともに大久保一族の軍事力を支えました。三方ヶ原や長篠での逸話は多いものの、大切なのは一族・与力をまとめ、長期にわたる武田氏との前線を支えたことです。

二俣城は遠江と信濃方面を結ぶ重要な城でした。忠世が城主となったことは、戦場での功績だけでなく、占領地を守り、地域の人びとと城を維持する能力を認められたことを示します。

1590年、小田原征伐後に家康が関東へ移ると、忠世は小田原城を与えられます。旧北条氏の中心城を譜代家臣へ任せ、検地や商人・職人の保護を進めたことは、徳川の関東支配が征服後の復興を含んでいたことを伝えます。

年表で追う

1560〜70年代
三河・遠江の戦い

家康の譜代家臣として前線を支える。

1572年
三方ヶ原

大敗後も徳川軍の立て直しに関わる。

1575年
長篠の戦い

大久保一族とともに武田軍と戦う。

1580年代
二俣城主

遠江の前線城と地域を預かる。

1590年
小田原城主

旧北条領の重要拠点で近世的な支配を進める。

この人物を読む四つの視点

大久保一族

忠世個人だけでなく、兄弟・一族が徳川軍を支えた。

二俣城

武田との攻防後、遠江を安定させる拠点となった。

小田原への配置

征服した大城を譜代へ任せ、旧領を徳川支配へつないだ。

復興と検地

城主の仕事は防衛だけでなく、村・商人・年貢の秩序づくりだった。

読み違えないために

忠世には「膏薬侍」など軍記由来の有名な逸話があります。言葉をそのまま同時代の事実とせず、合戦参加、二俣・小田原の城主歴、地域経営を中心に読みます。

大久保忠世から次に読む

参考にした資料

自治体・博物館等の公開資料を参照し、本文は初学者向けに独自に整理しています。