最初に押さえる
- 家康の重臣から1585年に秀吉へ移った。
- 1590年、秀吉の命で松本城主となった。
- 数正・康長父子は近世城郭と城下町の整備を進めた。
何をした人物か
石川数正は家康の人質時代から仕え、岡崎城代も務めた重臣でした。1585年に一族とともに大坂へ出奔して秀吉の配下に入るため、この転身だけが物語として語られがちです。
松本城の公式解説は、1590年に秀吉が数正を松本城主とし、数正・康長父子が城郭と城下町の整備を進めたことを示します。数正は「離反した家臣」だけでなく、豊臣政権が信濃へ置いた城主として読むべきです。
松本城の天守は子康長の時代に進みましたが、その前提となる配置と整備を始めた数正の役割は大きいです。家康から秀吉への移動は、城と地域の歴史にも残りました。
年表で追う
1585年
豊臣方へ
一族とともに大坂へ移る。
1590年
松本城へ
秀吉の命で信濃の城主となる。
1592年
死去
名護屋出陣中に没したとされる。