清康の進軍と、突然の死
松平清康は三河で力を伸ばし、尾張へも軍を進めます。しかし守山で家臣に殺害され、松平家は大きな転機を迎えました。
| 松平清康 | 徳川家康の祖父。三河で勢力を伸ばし、尾張へ進出します。 |
|---|---|
| 守山 | 尾張東部の拠点。清康の死後、のちには織田信光の基盤にもなります。 |
| その後 | 松平家は不安定になり、今川氏の影響が三河で強まっていきます。 |
なぜ尾張ルートで読むのか
守山崩れは信長の尾張統一より前の事件です。 ただし、尾張東部が三河の松平氏・今川氏と接する緊張地帯だったことを示します。村木砦、鳴海・大高、桶狭間、そして清洲同盟へ続く東海の長い背景になります。
ここだけ覚える
- 守山崩れは1535年、松平清康が守山で殺害された事件。
- 清康の死で松平家は揺らぎ、三河で今川氏の影響が強まった。
- 尾張と三河の緊張が、家康以前から続いていたことを示す。
守山崩れから、どこへ進む?
参考にした資料
守山崩れの原因や経緯の細部には資料による表現差があります。本ページでは、清康の死と三河・尾張の関係への影響を中心に整理しました。